トロイア戦争(1) パリスの審判

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パリスの審判

別記事で「パリスの審判」というエピソードに言及したこともあり、ギリシア神話の中枢的エピソードといえる「トロイア戦争」についてまとめておこうと思い立ちました。

トロイア戦争とは、トルコ北西沿岸部にあったというトロイア(英語でトロイ Troy)に、ギリシア連合軍が遠征し、10年にわたってトロイア軍と戦ったという物語。神話中の世代には整合性がないことが多いですが、ヘラクレスやアルゴ船の冒険(いずれ本サイトでも詳しく扱うでしょう)の一、二世代後のこととしてイメージされ、前1200年頃に実際に起こった戦争とギリシア人は考えていました。

前8世紀頃に成立したらしいホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』は、このトロイア戦争の物語の一部を歌っています。その他の部分を歌った詩は失われてしまい、伝わるのはあらすじのみ。以下ではホメロスの叙事詩に加え、断片的な古い伝承や後世の詩人・著述家が伝える情報をふまえて、物語の全体像を見ておきます。

その始まりは、地上に人間が増えすぎたので、大地の女神ガイアが重さに耐えられないと嘆き、ゼウスが大きな争いを起こして人間の数を減らそうと考えたことにありました。マーベルの『アベンジャーズ』のヴィラン、サノスを想起させるような話ですね。ちなみにサノス(Thanos)というキャラクター名、古代ギリシアの死の擬人神で死神のようなイメージもあるタナトス(Thanatos)に由来するとのこと。※詳しく確認していませんが、米国ではそのサノスの影響で、新生児が「サノス」と名づけられたケースがいくつもあるとのニュースが(2022年の情報)。いいのか。

話を戻すと、このゼウスの画策を背景に、戦争を引き起こすことになるエピソードが「パリスの審判」。ギリシア北部テッサリア地方のプティアの王ペレウスと海の女神テティスは、ゼウスの意向で夫婦となりました。ゼウスはテティスを我がものにしようとしていたのですが、「テティスとゼウスから生まれる子は、ゼウスよりも強くなるだろう」と掟の女神テミスが予言していたので、あるいはゼウスと交わることをテティスが拒否したことにゼウスが怒ったため、ゼウスはテティスと人間を結婚させることにしたのです。そこで相手に選ばれたのが、神々に愛されたペレウス。そして二人から、トロイア戦争の英雄アキレウスが誕生するのですが、それはのちの話。

ペレウスとテティスの結婚式に神々が集ったとき、争いの女神エリスだけが招かれませんでした。仲間外れを恨んだエリスは、神々が集まっている婚礼の場にこっそり近づき、「最も美しい女神へ」という言葉が刻まれた黄金の林檎を投げ入れたといいます(それは「ヘスペリデスの園の林檎」とも伝えられますが、それもいずれ別記事で)。  たまたまそれを手に取ったある女神が「あら、最も美しい女神って私のことだわ」と口に出します。それを横から見た別の女神が「いえ私のことでしょ?」と言いました。また別の女神が「いやいや、うちのことやろ?」とケンカ腰で割って入ります。

というようなやりとりは勝手な想像ですが、アフロディテ、アテナ、ヘラの三人の女神が、それぞれ自分が最も美しいと主張して争いになったのでした。

これを目にしたゼウスは、第三者である美しい人間の男に判定してもらうことを提案(全てゼウスの計画通りと解せるわけですが)。そこで選ばれたのが、トロイアの王子パリス、別名アレクサンドロス。トロイア王プリアモスと王妃ヘカベの間にパリスが生まれたとき、この子がトロイアを滅ぼす発端となる、との予言を受けたため、王は家来にパリスを捨てるよう命じました。しかし、この家来にパリスは救われて羊飼いとして育てられ、羊を守ったことから「守護者」の意のアレクサンドロスと呼ばれたのです(なお死んだと思われていた彼は、のちに成長して身分を証明し、王家に迎え入れられます)。

アレクサンドロスという名は、一代で大帝国を築いたアレクサンドロス大王によって普遍的な名前となっています。英語でアレキサンダー、イタリア語でアレッサンドロなど、広く見られ(ニュアンスとしては「まもるくん」に近いところがあるでしょうか)、愛称のアレックスでも浸透しています。ちなみに女性形がアレクサンドラ、短縮形がサンドラで、こちらも西洋文化圏でポピュラーな名前。

さてパリスは、やはりというべきか、美の女神アフロディテが最も美しいとの判定を下しました。そもそも「最も美しい女神へ」と刻まれた黄金の林檎が発端でしたが、パリスが三人の女神を前にして、アフロディテにその林檎を渡しているモチーフが、「パリスの審判」。エーゲ海ミロス島で発見され、現在はルーヴル美術館にある『ミロのヴィーナス』像は、両手が欠損していることで知られますが、そのもとの姿の推測として、林檎を手に持っているのがふさわしいのではないかとの意見があるのです。

実はこの美の争いにおいて、女神たちは自分を選ぶようにとパリスにアピールしてもいました。ヘラは、自分を選んでくれたら「アジアの王にしてやる」と。アテナは「誰にも負けない無敵の強さをお前に与えよう」と交渉。そしてアフロディテは、「絶世の美女をお前の妻にしてやろう」と言っていたのです。「絶世の美女」に心を動かされたのか、美の女神アフロディテが抜きんでて美しかったのか、神話の諸記録においてそれは明確に述べられていないのですが、パリスはアフロディテを選んだのです。

アフロディテがパリスに見返りとして与えることにした美女とは、ギリシアのスパルタ王メネラオスの妃、ヘレネ。女神の手助けのもとパリスはヘレネをさらい、トロイアへ。これが発端となってトロイア戦争が始まるのです。なお後世では、スパルタを訪れたパリスとヘレネは魅かれ合って不倫関係となり、駆け落ちをしたとの解釈も現れます。

美女ヘレネは、女性名ヘレン Helen、エレン Ellenの由来。ただし、これらの名前が広まったのは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌスの母で、イエスが磔にされた聖なる十字架を紀元4世紀前半に発見したと伝えられる聖女ヘレナ(ヘレネのラテン語形)の影響です。→続く

(また、冒頭でこのエピソードが描かれており、トロイア戦争をモチーフにしている漫画『イリオス』については、こちらをどうぞ。)

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