トロイア戦争(6) 生き続ける英雄たち

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トロイア戦争のイメージは、様々なところで生き続けています。ここでは、主役であるアキレウスとオデュッセウス以外で、その名が現代の事物に関わっているトロイア戦争の英雄を紹介します。

まず、アキレウスに次いで勇猛なギリシアの将で、アキレウスの従兄弟である大男のアイアス。彼は戦場では無敗だったのですが、のちに味方と争って我を忘れ、狂乱に陥ってしまったことを恥じ、自ら命を絶ってしまいます(これを題材にしている悲劇がソフォクレス作『アイアス』)。無敗を誇った強さと、そうした選択をした姿がときに好まれて、彼の名とイメージは後世に受け継がれました。たとえば、「アヤックス Ajax」というオランダの名門サッカークラブの名称になっています。無敗の強さを特に意識しての命名でしょう。

ペロポネソス半島南西のピュロスから参戦したネストルは、賢明な老人。彼のイメージから、現代でもネスター nestor といえば助言者や長老を意味します。

トロイア側では、王子ヘクトルは高潔な人物として描かれており、ギリシアから見れば敵ですが、後世でもその人物像が好まれました。ヘクター Hector(フランス語やスペイン語だとエクトル)という人名はこのヘクトルに由来。

そして本来の古代神話にはなかったのですが、中世に発展した物語をもとにしたのが、シェイクスピアの劇『トロイラスとクレシダ』(ギリシア語名だとトロイロスとクリュセイス)で、トロイアの英雄の悲恋を描いています。

意外なところでは、京都の祇園祭において英雄の姿を目にすることができます。祇園祭では山鉾、つまり祭りの山車が7月17日に巡行をおこなうのですが、「鶏鉾」「霰天神山」「鯉山」「白楽天山」の四つの山鉾を彩っているのが、1575〜1620年にベルギーで製作されたトロイア戦争を題材とする連作タペストリー。たとえば鶏鉾の見送幕は、出陣するヘクトルと妻子との別れを描いたもの。渡来の経緯は明確ではなく、江戸時代に貿易していたオランダ経由でもたらされたのではないかなど、諸説あります。いずれにせよ、徳川家や豪商が関わって京都に至ったと推測されます。タペストリーは原産地ベルギーにもほとんど残っておらず、極めて貴重なものだそうです。トロイア戦争の物語は、日本の伝統行事においても受け継がれていたのです。→戦後の物語に続く

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