魔女か悪女か、悲劇のヒロインか―王女メデイアの物語(3)

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ともあれ悲劇『メデイア』は、普遍的な愛憎劇として後世に受け継がれました。演者としては、主人公メデイアは演じがいある強烈な役なのでしょう。これまで時代を代表する数々の女優たちがメデイアを演じてきました。たとえばフランスでは、19世紀末に上演された『メデイア』(フランス語だと『メデ』になる)において、有名な舞台女優サラ・ベルナールが演じています。

その際のポスターを描いたのが、チェコの画家アルフォンス・ミュシャ。ミュシャはサラ・ベルナールの一連の芝居のために作成したポスターで知名度を高めました。『メデイア』のポスターでは、復讐を遂行するメデイアの手に、メデイアをイメージして「蛇が巻き付いたブレスレット」を描きました。それが気に入ったサラ・ベルナールの依頼から、宝飾家ジョルジュ・フーケによって実際に「蛇のブレスレットと指輪」が製作されたという逸話も知られています。そしてこれを、ミュシャに魅せられた世界的コレクター、土居君雄が手に入れて、今は大阪府堺市の「アルフォンス・ミュシャ館」に収蔵されています。

ミュシャが描いた『メデイア』のポスター(1898年、Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.)

また、20世紀最高の女性ソプラノ歌手ともいわれたマリア・カラスも、オペラでメデイアを演じているほか、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の名作映画『王女メディア』(1969年)で主役を務めました。本作では歌は披露していませんが、クライマックスでの鬼気迫る演技は見ものですよ。ちなみにマリア・カラスはニューヨーク出身ですが、ギリシア系移民の子で、ギリシアに縁があります。

日本ではこんな例もあります。世界的に高く評価された舞台演出家の蜷川幸雄さんをご存じでしょうか。写真家・映画監督としてご活躍の蜷川実花さんのお父さんです。蜷川幸雄は、1978年にエウリピデスの劇をもとにした舞台『王女メディア』を演出しました。そこでメディアを演じたのは、男性である平幹二郎。蜷川としては、かつての「男性だけの演劇」に回帰して問題提起をする意図もあったようです(他にも蜷川は男性だけの舞台を演出しています)。ともあれ蜷川版『王女メディア』は、平幹二郎の演技と、豪華できらびやかな衣装・演出によって、海外でも好評を博しました。

メデイアの物語は、ドロドロの恋愛ドラマのようでもあり、凄惨なホラーのようなところもあります。これはギリシア神話の多くのエピソードに共通する要素でもあり、こうした観点からだと実はメデイアは典型的なギリシア神話といえるかもしれません。

それにギリシア神話は、神々のみならず、人間たちのキャラが立っている一方、口頭で語られ、多くの語り手・受け手を介して広まっていったため、細部まで統一されておらず、登場人物の意図や心情などにはかなり解釈・想像の余地があります(だから異伝が多く、本や事典によって話の違いがあるのは、むしろギリシア神話あるある)。それで私も、あくまで物語のエッセンス紹介を重視し、読み手の想像に委ねる部分を多く残したいとも考えています。あーだこーだ思ってもらうところに、ギリシア神話の本質の一つがあるでしょうから。こうした観点からも、メデイアは典型的でしょう。

さて、女には恐ろしい本性があるのか、あるとしてそれは本当に女性だけのものか、男性をはじめ環境がそんな本性を作り出すのではないか…など、今も言ったように、あーだこーだメデイアという女性像に考えさせられることは多いですね。また、物語とキャラクターの強烈さの一方、先述のような解釈の自由さがあって、翻案のしよう・しがいもあるわけです。

先にもふれたように、メデイアという人物像の受けとめ方は時代によってかなり違うでしょう。しかし一方で、「そんな人、絶対にいないよ」と笑い飛ばすことはできないのではないでしょうか。あなたの側に、あなたのなかに、メデイアはいるかもしれません。だからこそ、メデイアは生き続けてきたし、これからも受け継がれていくのではないでしょうか。

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