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世界の成り立ちと主な神々について簡単に述べてきた(こちらからの一連の記事)に続いて、ギリシア神話における人間の歩みに目を向けてみます。※なお、人間の歩んできた時代については「五時代」の記事も参照。

実はギリシア神話では最初の人間について統一的な誕生譚は語られていません。ギリシア神話とは別物である聖書の物語(旧約聖書の『創世記』)では、神が世界も人間も動物も創造したと語られているのと対照的です。ギリシア人にとっては、人間が存在するのは当たり前だったのでしょうか(地域によっては「大地から生まれた」と人間の起源を伝えているところもあります)。

ほとんどの神々を人間の姿でイメージしていたギリシア人は、結局のところ、きわめて人間中心の世界観をもっていたといえるかもしれないですね。ただし、原初から存在していた人間というのは、あくまで「男」のこと。「女」は神が創造し、地上に送られたことになっています(「パンドラ」の項目を参照)。こうした考え方は、やはり古来の男性中心の世界観を反映しているのでしょう。

さて人間たちは地上に増えましが、しだいに堕落していきました。そこでゼウスは人類を滅ぼそうとして、大洪水を起こすのです。

しかしこのとき、正しい人であったデウカリオンは父プロメテウス(別の記事を参照)から警告を受けていたので、「箱舟」を建造して、妻のピュラと共に大洪水を乗り切ったのでした。

神々を敬う二人はゼウスに許され、この二人から再び人間が増えたのです。

二人が神託を受けて石を投げたところ、それが変化して人間が(再び)誕生したとの伝えがあります(アポロドロス『ギリシア神話』1.7.2、オウィディウス『変身物語』1.362以下)。これは、人間の固い骨の由来を説明しようとして生じた話なのかもしれません。またアポロドロスは、ゆえに「石 laas」が「人々 laos」という言葉の由来だともつけ加えています。

さらにその後、デウカリオンの子ヘレンがギリシア民族(自称はヘレネス)の祖となり、ヘレンの子アイオロスなどがそれぞれギリシア民族のアイオリア人などの種族の祖となったと説明されています。これらは、方言形などの違いがありながらも同じ民族という意識をもっていたギリシア人全体の起源を体系的に説明しようとして、後づけで語られるようになった神話と解すべきでしょう。ただし、こうした神話の共有が民族意識を強めたという面もあると思われます。神話的物語の共有による民族意識強化は、近現代の民族についても指摘されるところ。神話は事物を説明し、ときに現実を形づくっていくほうにも作用しうるのです。

ところで、聖書にも似たような洪水伝説、すなわち「ノアの洪水」の物語がありますが、デウカリオンもノアの洪水も、古代メソポタミアの洪水伝説に影響を受けていると考えられます(大洪水の神話・伝説について詳しくは、拙著『大洪水が神話になるとき』河出書房新社)。

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