プラトンは語る(8)

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ここでは補足的に、プラトン以外の記録と意見にも少しふれておきます。

「プラトンは語る」前回投稿記事までの内容は、プラトンが対話篇における登場人物の口を借りて語っています。情報源とされるエジプトでも、実際にはアトランティスについての記録は確認されていません。ソロンが話を聞いてきたというのも、他には記録がないのです。

「歴史の父」と称されるようになったことで知られる、ギリシアの歴史家ヘロドトスの著作(前5世紀後半)においては、北アフリカの果てに「アトランテス人」という菜食で夢を見ない人々が住む、との奇妙な記述があります。他にもシチリアの歴史家ディオドロス(前1世紀)などが、北西アフリカに「アトランティオイ」という人々がいたと伝えています。こうした言及とアトランティスとの関わりについて推理が繰り広げられることがあるのですが、これらはプラトンが伝えた太古の島とは異なります。先述のように、西方に巨神アトラスがいたと伝えるギリシア神話と、それに由来するだろうアトラス山脈という北西アフリカの山脈名があり、当地域に住む人々も関連した名称で呼ばれていたという話なのです。プラトンが語ったアトランティスと具体的には結びつきません。大西洋上にあり、優れた文明を発展させ、アテネと戦争をし、大災害で滅んだ島・国家としてのアトランティスについて情報を遡ることができるのは、あくまでプラトンまでなのです。

この話が事実かどうかという議論はもちろん古代にもありました。たとえば、プラトンの著作は後世の者たちによって様々な注釈を加えられつつ受け継がれていきますが、そうした註釈者の一人で前4世紀末の哲学者クラントルは、この物語を事実と考えたと伝えられています。彼はエジプトでアトランティスについての記録を実際に目にしたのだと、実在の証拠として指摘されることも。ですが、クラントルについて伝えているのはさらにのちの註釈者プロクルス(紀元5世紀)で、その断片的で曖昧な記述ではアトランティスの記録がエジプトに確かに存在したかどうかわからず、プラトンの話をクラントルが信じていたようだという情報にとどまるといわざるをえません 。ちなみにプロクルスも他の註釈者たちも、実在を積極的には信じていませんでした。

※なおクラントルについては A. Cameron, “Crantor and Posidonios on Atlantis” The Classical Quarterly 33-1, 1983 , p. 81-91. また以下のような古代の証言について詳しくは、S. P. Kershaw, The Search for Atlantis: A History of Plato’s Ideal State, New York: Pegasus Books, 2018, Ch6-7.

時代を再び遡りますが、プラトンの弟子である有名な哲学者アリストテレスは、アトランティスについてプラトンの創作と捉えていた、という間接的な証言も伝わっています。一方、前2世紀には哲学者ポセイドニオスが、アトランティスは作り話ではないと考えることもできる、と記しました。紀元1世紀のプルタルコスは、事実かどうかの判断は留保しながら、アトランティス伝説は読み手を楽しませるので、残りの部分を読むことができないのは惜しいとの感想を述べています。

この話を多くの人が知るようになったころにはプラトンは亡くなっており、真意を確かめることはできなかったし、当時の地理知識では、大西洋にあったという島のことなど、はるか遠くの世界の確かめようのないことだと思われたでしょう。このように、事実を伝えているのかどうかはよくわからないまま伝説は受け継がれ、現代にまでいたっています。その間の伝説継承については、おいおい別に紹介したりまとめたりしていきます。

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