スウェーデンとアトランティス(1)

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アトランティス=アメリカ説(こちらの記事などを参照)とは異なる展開をもたらした代表的人物としては、17世紀ヨーロッパの列強国となったスウェーデンの解剖学者・博物学者、オラウス・ルドベック(1630~1702)がいます 。

※ルドベックについて詳しくは、David King, Finding Atlantis: A True Story of Genius, Madness, and an Extraordinary Quest for a Lost World, New York: Harmony Books, 2005.

彼は人体の「リンパ系」発見者の一人としても知られ、子孫にはノーベル賞の由来となったことで有名なアルフレッド・ノーベルがいます。

ウプサラ大学の医学部に職を得たルドベックは、1660年代に若くして同大学の学長まで務めたあと、古代研究に没頭するようになりました。研究成果をまとめた大著が、1679年から1702年にかけて刊行された『アトランティカ、人類の祖国』。

そこで彼は、アトランティスこそ全ての文明の起源であり、アトランティスが存在したのは北欧のスウェーデンだと主張したのです。『アトランティカ』はヨーロッパ諸国で広く読まれ、科学者ニュートン、哲学者ライプニッツやモンテスキューなど、当時の著名な知識人たちから高い評価を受けたことが知られています。

ルドベックは各地の神話に事実を見出しつつ議論を展開しました。まず、ギリシア神話や北欧神話における理想郷的な描写をアトランティスと結びつけます。そして、その存在場所として彼がインスピレーションを得たのが、北方でした。古代ギリシアの神話的地理観では、自分たちの暮らす南ヨーロッパ・地中海方面からはるか北に、ヒュペルボレオス(ヒュペルボレイオス、複数形ヒュペルボレオイ、ヒュペルボレイオイ)という人々が暮らしていると考えられていました。その名は「北風 Boreas」の、「彼方 hyper」に住む人々、という意味に由来するようです。そしてヒュペルボレオス人の住む地(ヒュペルボレア、ヒュペルボレイア)は理想郷だと古代に語られてもいたのです。

ルドベックは、スウェーデンの神話的な王「アトレ」(Atle)こそアトラスではないかといった言葉の関連性の想定に加えて、プラトンの描写とスウェーデンとに地理的共通点などを見出し、アトランティスとはスウェーデンのことで、その首都は現在のウプサラにあったと結論づけたのでした。

そしてルドベックによれば、アトランティス=スウェーデンこそ世界文明の起源であり、その言語こそ人類最古のものであるといいます。また、アトランティス滅亡の理由についてもルドベックは、ノアの洪水や、災害を語る各地の伝説に重ねて理解しました。

ただし彼は、プラトンの伝える時代は古過ぎると見ていました。エジプトで暦を「年」ではなく月数によって数える場合があることから、エジプトを介してアトランティスの情報がプラトンに伝わる過程で、本来は当代から「九〇〇〇カ月前」との表現が「九〇〇〇年前」に入れ替わったのであり、滅亡は実のところ前十五世紀頃ではないか、としています。自説のためのこうした単位や時間の調整は、後世の論者においてもよく見られます。

神話における北方描写については、地中海方面の古代人が現実には詳しく知らなかったからこそ北の果てに思い描いた想像と思えのですが、ともあれ、ヒュペルボレオス人こそ優れた民族で(論者によっては、ナチスが優れた民族として喧伝した「アーリア人」と重ねられることになります)、人類文明は北の果て(北極)に誕生して南へと伝わっていったとの説がのちに発展していくのです。ルドベックの主張はそうした流れの始まりとしても位置づけられるでしょう。→続く

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