ドネリーとアトランティス論(2)

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まずは、ドネリーの来歴から見ておきます 。※後述するドネリーの著書 Atlantis: The Antediluvian World のDover版(1976)に、E. F. Bleilerによる解説と参考文献紹介があります。後で挙げる平野孝の論考も参照。

彼はアイルランド移民の息子として1831年に米国フィラデルフィアで生まれ、ハイスクール卒業後に当地の弁護士事務所で書記として働きました。当時の多くのアイリッシュと同じく、民主党に入党。結婚してまもなくペンシルヴェニア州議会選挙に出馬するも落選すると、新天地を求めミネソタ州に移住し(1856)、不動産業を営みますが、恐慌(1857)で破産してしまいます。そこで政界を再び志し、今度は共和党に入党。ドネリーは州知事の信頼を得て、1859年に副知事に任命されました。その後、下院議員に当選して三期に渡り国会議員生活を送っています。

しかし四期目の選挙で落選した彼は、著作執筆に多くの時間を割くようになりました。かねてより知識欲が旺盛だったようで、ドネリーは読書により特に歴史についての豊かな知識を培っていたのです。そして1882年に出版したのが、『アトランティス―大洪水以前の世界』でした(原題 Atlantis: The Antediluvian World。日本では未訳ですが、ペーパーバック版、電子書籍版ともに今でも入手はしやすいです)。

そこでドネリーは、「アトランティスは大西洋に実在し、大西洋東西の文明はアトランティスによってもたらされた」との主張を展開しました。この本はよく売れ、刊行から8年で20刷を超えたといいます。反響を示す例に、ときの英国首相で古典研究家としても著名だったグラッドストンがドネリーを称賛する手紙を書いたというエピソードもあります。

ちなみにドネリーはこのあと、太古の大災害の痕跡を北欧神話のなかに探った『ラグナロク―火と砂礫の時代』、シェイクスピア=フランシス・ベーコン説を論じた『大暗号―いわゆるシェイクスピア劇におけるフランシス・ベーコンの暗号』と、ディストピア小説『シーザーの記念柱』を著しています 。

※『アトランティス』や『ラグナロク』も「空想科学小説」であって、『シーザーの記念柱』にも通底するユートピアへの関心(懐古すべき過去であると同時に希望を託すべきユートピア、退廃と終末だけでなくその後のより良き楽園の復活)がドネリーに見て取れるという解釈については、平野孝「イグネイシアス・ドネリーの世界再考」『アメリカ研究』22号、1988年、14~32頁。

一方で新党結成に尽力するなど政治活動も継続しており、1900年には人民党の副大統領候補に指名されたのですが、1901年の年明けに亡くなりました。→続く

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