ドネリーとアトランティス論(3)

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では、ここからはドネリーの主張・論拠の要点を見ていきます。以下しばらくは、管理人ではなく、ドネリーの意見が主です。

アトランティスが繁栄したのは、聖書に伝えられるノアの大洪水以前の世界(あまりなじみがないだろう、ドネリー著書の原題の antediluvian という言葉は、「大洪水以前の」という意味。ちなみに deluge が大洪水。)ドネリーの解釈によると、聖書のエデンの園、ギリシア神話におけるエリュシオンなど、古代の楽園伝説は、人類が平和と幸福のもとに暮らしていた偉大な国アトランティスについての記憶を反映しているはず。また、世界各地で語られてきた様々な神話・伝説は、本来はアトランティスの王や英雄に関しての事実を語っているとされます。

1870年代、英国のチャレンジャー号によって大西洋の海底の測深がなされ、大西洋中央海嶺の存在が明らかになりました。この海底山脈の上部がアゾレス諸島(ポルトガル領の島々)。ドネリーによれば、海嶺こそアトランティス大陸の名残なのです。

19世紀に、ヨーロッパ諸言語と古代インドのサンスクリット語との共通性が認められると、その源の言語を話したと想定される集団がアーリア人(「高貴な」の意)と呼ばれ、白人の祖先として想定されるようにもなっていましたが(その存在含め、実証されなかった仮説)、ドネリーはアーリア人をはじめとしたいくつかの民族の原郷がアトランティスであると考えました。

またメキシコやペルーでは、海を越えてやってきた者が文明をもたらしたという伝説が報告されてもいます。こうしたことを根拠の一つに、人類史上初めて文明を生み出したアトランティス人たちは移住して各地に影響を及ぼしたとドネリーは主張しました。

大西洋東西の文明には様々な共通点が見られます。たとえば東のエジプトと西のマヤにおけるピラミッドの存在、東西双方での建築におけるアーチ形状や煉瓦の利用、表音文字の使用、刺青をしたり武器や食べ物を副葬したりする諸慣習、金銀への高価値付与、太陽を崇める宗教などです。ドネリーによればそれらは共通の起源たる「母文明」、アトランティスに遡るということになります。

ノアの洪水をはじめ、世界中に大洪水の伝説があります。ドネリーはこれこそアトランティスを襲った大災害の記録と見なしました。アトランティスは海に沈み滅亡したが、一部の者たちが船に乗って逃れたのでしょう。そしてたどりついた各地でこの出来事を語り伝え、それが洪水伝説として広範に伝承された、というのです。

さて、こうした主張については様々な問題点があります。それについてさらにまとめていきます。→続く

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