神々の「裸」

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西洋芸術において神話が題材とされているとき、神々が裸で描かれることがよくあります。たとえばトロイア戦争の発端のエピソード、「パリスの審判」。本来、この逸話に登場する女神たちは服を脱いでいないのですが、これを描いた後世の絵画では、女神たちはよく裸で描かれているのです。

このように神々の「裸」が強調されたのは、古典文化復興が刺激となって様々な価値観が変化していったルネサンス以降(14世紀頃〜)のこと。中世の時代に人々の世界の見方を規定していたキリスト教は、もともと肉体をけがれたものと考えたり、性的なことをネガティブに捉えたりする傾向が強かったので、絵画に裸体を描くことは許されませんでした(それにキリスト教絵画の題材のバリエーションはイエスの磔刑や聖母子像など限られたものでしたので)。

しかしルネサンスの頃には、肉体を美しいものと肯定的に考えた古代にならい(※)、裸体を描くようになったです。それで、これ以降の絵画では必要以上にというか、「なぜ裸なの?」と思ってしまうような場面でも裸体がよく登場します。

※古代においても、美しい肉体をさらすのは悪いことではないとするのは、もちろん時と場所、程度によります。古代人が日常的に裸だったわけではありません。それに、神の裸体をこっそり覗きみることなどはたいへん不敬な行為でもあり、神話においてそのようなことをした者が厳しく罰せられる(もしくは裸体を見られた神、主に女神、が激しく怒る)という逸話があります。

ただしもちろん、そのような変化が生じたルネサンス以降も、裸を無条件に全て賛美するようになったわけではありません(裸にも程度があります)。古代の神々の裸という、俗世の生々しさとキリスト教の伝統からは距離をおいたような形で描かれたので、古代神話を題材にした絵画において裸体がよく見られるのです。

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