ギリシア悲劇(1)
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トロイア戦争について簡単にまとめたなかで、「ギリシア悲劇」に言及したのに合わせ掲載しようと思った記事です。
ギリシア悲劇は、古くから語られていた神話を脚色して上演された演劇で、アテネ(アテナイ)から各地に広まりました。アテネでは、酒と祭りの神ディオニュソスを祀るディオニュシア祭において、選ばれた三人の悲劇作家が競うコンテストの形で上演されました。それぞれの作家が三編の作品を用意したのですが、現存するアイスキュロスのオレステイア三部作(いずれ別記事で)のように三編の内容が連続している場合もあれば、内容はつながっていない場合もありました。
また、それらに加えて、合唱隊が半獣神サテュロスに扮した滑稽なサテュロス劇も上演されました(つまり各作家による劇が四編ずつ)。上演会場のディオニュソス劇場(一万数千人収容)は、荒廃しながら今もその姿をとどめています。
なお、ディオニュソス劇場が廃れたあと、紀元2世紀に建設されたヘロディス・アッティコス音楽堂(5,000人収容、同名の富豪が寄贈)は、現代でも演劇やコンサートなどに用いられています。
その上演形態には様々な変遷があったが、盛期アテネではメインキャストは三人となって、彼らが仮面をつけて英雄や神々を演じました。歌劇なので、十数名で構成される合唱隊もいます。古代ギリシア語でこの合唱隊のことを「コロス choros」といって、これが「コーラス chorus」の語源。合唱隊が歌舞したスペース「オルケストラ」が、「オーケストラ」の語源です。
作家も含め、ふだんは一般市民である演者や合唱隊、裏方の者たちが(基本的に男性のみ、社会における主導的役割のほかこうした文化活動も男性が支配的だったのです)、祭典での上演のために準備をしました。悲劇上演は、市民が実際に参加し、観劇する国家行事だったのです。そしてそれは単なる娯楽ではありませんでした。戦時にはトロイア戦争を題材にして戦争への意識が高められたり、人間の悲壮な運命が描かれたり、現実社会と人間の本質をめぐる様々な事柄が、畏怖された神話的過去に重ね合わせて表現され、メッセージが発せられたのです。→続く