アルテミス/ディアナ 森を駆ける少女神(2)

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鹿の生命イメージ

アテナと同じく、裸を見られて激怒したエピソードがアルテミスにも語られています。森の中で水浴びしている姿をアクタイオンという狩人に見られて怒ったアルテミスは、彼を鹿の姿に変えてしまうのです。それで彼は、連れていた猟犬たちによって引き裂かれ死んだといいます(『変身物語』3.140以下)。

人を鹿の姿にするだけでなく、アルテミス自身がよく鹿と一緒に描かれます。鹿の角は落ちてまた生えてくるので、そこに生命再生のイメージが重なるのです。それで鹿は、生命再生の絶えざるサイクルを象徴する存在として、野性的自然を司るアルテミスと共に描かれるわけですね。

こうしたイメージは古代ギリシアに限ったことではありません。宮崎駿監督の映画『もののけ姫』でも、自然界の神様シシガミは鹿の姿をしていました。

出産と豊穣の女神

アルテミスは自ら子を生みはしないのに、出産の女神でもありました。それがなぜか不思議に思われるかもしれませんが、「生命を生み出し育む」というイメージから、出産と自然界は結びつけられやすいようです。また出産が、男性によってコントロールできない、男性的文明の外、野性的自然の領域としてもイメージされたのでしょう。だから出産は自然界の女神アルテミスの領域。

何かを見守る神は、それについて悪い結果も引き起こすことができるはずですから、アルテミスは出産の際に命を奪う女神でもありました。「アルテミスの矢に射られる」という表現は、女性の突然死、なかでも出産に際して命を落とすことを意味したのです。

こうして見てくると、豊穣多産の女神としてアルテミスが崇拝されることがあったのも納得できます。そのような崇拝が盛んだったのが、小アジア(現在のトルコ、アナトリア半島)西岸のエフェソス(現在のトルコでの発音だとエフェス)。

当地のアルテミスは、乳房を表すともいわれる物体が数多く胸部についている独特な姿をしていました。

エフェソスのアルテミス像(紀元1世紀、エフェス Efes 博物館所蔵。Public Domain via Wikimedia Commons.)

これが本来は何だったのか、諸説あるのですが(牛の睾丸や蜂の巣など)、いずれにしても多くの生命を育むことを象徴した姿と思われます。小アジア沿岸部には、前1000年頃よりギリシア人が植民していました。エフェソスもギリシア文化が浸透した町。当地にやってきたギリシア人が、それ以前から崇められていた土着の神を、自然の女神アルテミスと同一視したのではないでしょうか。

ちなみに、エフェソスには大きなアルテミス神殿があったのですが、前4世紀中頃、ヘロストラトスなる人物が放火し、倒壊しました。そして捕まった彼は、動機について「自分の名を後世に残すため放火した」と述べたそうな。エフェソスの人々は彼を死刑にしたうえ、記録が残らないよう配慮したのですが、歴史家が事件について記述して今に伝わっているので、彼の意図は実現してしまったといえます。この逸話から、「どんな手段を取ってでも有名になろうとすること」を「ヘロストラトスの名声 Herostratic fame」と表現するのです。

その後、神殿は再建されたが、今度は異教を排除しようとしたキリスト教徒に破壊され、現在は復元された柱が一部残っているだけです。

女神ヘカテ

アルテミスと同一視されることがあったのが、女神ヘカテ。神々の血統について歌った古代の詩人ヘシオドスによると、ヘカテは、共にティタン神族の血統である男神ペルセスと女神アステリアとの娘。大地と海に力を及ぼし、戦争や競技の勝利、子供の養育などを加護する神としてヘシオドスに称賛されていますが、その力に対する畏敬は恐ろしいイメージにも転換し得たのか、魔術を司る神と見なされるようになり、のちには三つの体が融合した姿で三叉路に現れると考えられるようにもなりました。ヘカテといえば、シェイクスピアの『マクベス』に登場するように、魔女の代名詞でもあります。

アルテミスは日常から離れた世界、ときに人間に害をなすような荒々しい自然界の神であるから、人知を超えた力とも結びつきやすかったのでしょう。こうしたイメージには、自然の捉え方が深く関わっています。手のつけられていない自然というイメージは、宮崎駿監督が描いた『もののけ姫』の登場人物サンのように快活な少女のようです。しかし一方で、人間の築き上げる文明世界のほうを肯定的に強調すれば、逆に自然には様々なネガティブなイメージ、恐ろしい力のイメージが付与されます。だからアルテミス/ディアナ/ヘカテはときに、恐ろしい魔術の神とも考えられたのでした。

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