アトランティス=ミノア文明説(3)

最終更新日

ミノア文明説の続きです。アトランティスとはクレタ島(あるいはサントリーニ島)のこと、として全て解決というわけでは決してないことも述べておきます。

まず、アトランティスは12,000年以上前に大西洋に存在したとされるのでしたが、クレタ島やサントリーニでは時代も位置も異なります。これには、説明が一応なされてはいます。年代は、アトランティスについての情報がエジプトを介した際に、数字が誤って伝えられたとの解釈です。特に、エジプトの百と千をあらわす記号が取り違えられてしまったのではないか(百の位が誤って10倍にされてしまったのではないか)、というのです。だとしたら千の位を十分の一にすれば正しい数字なので、プラトンがアトランティスの年代として伝えた「ソロンの時代(前600年頃)から9,000年前」というのは、「ソロンの時代から900年前」、すなわち前1500年頃となり、ミノア文明の存在した時代と重なるわけです(※ソロンはエジプトからアトランティスの事を聞いてきたとされる実在の人物)。

もうひとつが、位置の問題。アトランティスは、ヘラクレスの柱(=ジブラルタル海峡)の向こう側にあったと伝えられていましたが、クレタ島とサントリーニが位置しているのはエーゲ海。この点について説の主唱者の一人ガラノプロスは、「ヘラクレスの柱」とは、ギリシア本土のペロポネソス半島南端の二つの岬を指し、「ヘラクレスの柱」の向こう側とはすなわちエーゲ海のことを指すから、位置も矛盾しないと主張しました。しかし、辻褄合わせとの印象も強い想定です。続…

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。

コメントする