ムー大陸の浮上(1)

最終更新日

「ムー大陸」についての記事はまだあまり投稿していませんでしたが、ムー大陸についての情報は本サイトの主軸の一つとしていくように考えています。ムー大陸伝説と日本(そして前に少し記事をまとめていたオカルトにおける「失われた大陸」)はとても関わりが深いからです。

関連情報を紹介し続けていくにあたって、やはりまずはそもそものムー大陸話の始まりからあらためてまとめておこうと思いました。

英軍大佐を自称した米国の作家ジェームズ・チャーチワード(James Churchward 1851~1936)が、インドで目にしたという粘土板文書をはじめとした古代の伝承をもとに、『失われたムー大陸』(1926、1931)等の著作で存在を主張したのが「ムー大陸」です。

彼によるとムーは太平洋上にあって、世界の諸文明の起源である超古代文明と「ムー帝国」がそこに繁栄していました。アトランティスもムーの植民地だったといいます。ムー大陸はそのアトランティスと同じように12,000年ほど前、大災害によって海中に没したとされます。

まず、発信源たるジェームズ・チャーチワードの来歴から確認しておきましょう。といっても著書での叙述は信憑性に欠け、人物像は不確かです。ジェームズの曽孫だというジャック・チャーチワードが米国のフロリダに居住しており、ムー大陸についての情報発信を行っていたので、それも参照してまとめると…

(https://my-mu.com/ ちなみにジェームズの一歳下の弟アルバートは英国に残り、のちに宗教思想や古代史、フリーメーソンについての著書を刊行。二人の間にどれほど交流が続いたかは定かではないが、謎めいた事象への関心において互いに影響を与えあった部分があったのかもしれません。また、チャーチワードの主張と来歴については以下も詳しいので興味のある方はご参照を。藤野七穂「ムー大陸は実在したか」ASIOS編『謎解き 古代文明』彩図社、2011年、219~221頁。藤野氏はムー大陸論とチャーチワードについて日本で一番お詳しい方だと思います。管理人も私信でいろいろご教示をいただきました。では話を戻しますが…)

ジェームズは英国(イングランド南西部デヴォンシャー)生まれ。セイロン(スリランカ)を経て米国に移住、当初は鉄鋼技術者として働きました。のち起業し、特殊な鉄鋼の特許を得て、ニューヨークに新しい会社を設立し成功を収めていたようですが、1910年代には特許をめぐる訴訟に巻き込まれるなど、次第に業界での勢いを失ってしまったようです。

ところで彼は著述活動にも興味があったのか趣味が高じたのか、1894年に『セント・ローレンスのサウザンド諸島での釣り』、1898年に『メイン州北東部の大物釣り』という本を執筆しています。

鉄鋼業界から身を引いたジェームズは、70代になってからムー大陸論を展開しました 。先述の曽孫が公開している年譜によると、ジェームズは1924年から新聞やラジオ番組を通して「失われた大陸」について語っていたようです。たとえば1924年11月10日『ニューヨーク・アメリカン』紙掲載「エデンを失われた地に見出す」との記事切り抜きが同サイトに公開されていました。

そして1926年、ジェームズはムー大陸の存在を論じた著書を出版。このときの反響の程度は判然としないのですが、1931年に出版社を変えて再刊され、さらに1934年までに続刊四冊が刊行されます 。

彼は一連の著作で人類と文明の発生地としてのムー大陸論を展開しますが、五部作の終盤に向け、ムー大陸で理解・活用されたという「宇宙の原動力」などが論じられ、オカルト理論の雰囲気を強めていきます。彼の志向はムー大陸の実在証明など超越していたことがうかがえるのです。

五部作刊行からほどなく、彼は1936年の講演途中に倒れ、亡くなりました。→続く

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。

コメントする