情報更新:日本における「ムー大陸」紹介

最終更新日

かつて、拙著および当ブログにて、以下のように記述しておりました。

日本では、1932年(昭和7)の6月19日、『大阪毎日新聞』において「噴火のため海底へ没した文化発祥の花園『ム』大陸奇談」と題し、チャーチワード(紙面ではチャーチ・ワードと表記)の主張を紹介した記事が、日本でのムー大陸情報紹介の最初期の例ではないかと思われる……と。

し・か・し、当時の情報流入は想像していたよりもずっと早かったようです。これまでもいろいろご教示をいただいてきたブログ「神保町系オタオタ日記」の管理人さまより、今回もお教えいただきました。

『旬刊写真報知』(報知新聞社出版部、大正15年2月15日)にて、ムー大陸論について詳しい紹介(2,100字ほどだとか)がなされていたのです。「神保町系~」管理人さまも、別件で注文したこの雑誌にたまたまムー大陸紹介が掲載されているのに気づき驚かれたようです。もちろん詳しくは「神保町系オタオタ日記」の当該エントリをご覧いただきたいと思います。こちらの記事です。

のち日本でも知られるようになっていくムー大陸論は、ジェームズ・チャーチワードという人物がまず1926年に米国で刊行した書(『失われたムー大陸』)に始まります。これの改訂版で1932年に刊行されたものが有名で、日本での紹介もこれ以降だと思っていたのですが、最初の版をもとにすでに日本でも紹介がなされていたわけです。これは、早い。かなり早いですね。『旬刊写真報知』での記事掲載が1926年(大正15)の2月ということですので。現代のネット情報なみの早さ、というのも言い過ぎでしょうか。記録上、チャーチワードの書が1926年刊行(年始?)ですが、もっと早くに流通していて偶然手に取った日本人もいたのか…?それとも外電か何か?(この点はブログ「神保町系~」でも推察されています。)当時、こうした情報に何か反応はあったのか?など、興味もふくらむというものです。

ともあれ、現物を詳しく見ていないので、確認できたらまたここで記録しておきたいですし、関連情報も調べてみたいと思います。
 

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