平成の神秘的ムー大陸

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太平洋に存在し、そこには始原の文明が発展していたが、大災害によって海に没したとされるムー大陸。それについての基本的なところは本サイトの独立ページ(こちら)でもふれています。日本でムー大陸がよく知られるようになったのは、ムー大陸について論じたジェームズ・チャーチワードなる人物の一連の著書の訳が大陸書房から刊行された1960年代末から(一部の邦訳はそれ以前からありましたが)。今回は、訳者である小泉源太郎の叙述が興味深かったので備忘録として記します(※本サイトでは、体裁統一のためにも原則として諸作品の著者・作者の敬称を省略させていただこうと思います。失礼します)。

小泉は1993年(平成5年)に「ムー大陸からの呼び声」(『別冊歴史読本「古史古伝」論争』所収、古史古伝とは何ぞやという話はいつかまた別に)という論考で、平成時代になってもムー大陸が日本でいろいろと意識されていた逸話に言及していました。

一つには、1989年(平成元年)に福岡で催されたアジア太平洋博覧会に参加した三菱未来館の『未来伝説・謎の海底大陸を探せ!』と題した海洋アドベンチャーゲームおよびそれに登場する海底特殊探査艇ムー・チャレンジャー号が人気を呼び、期間中、同館は約160万人にのぼる入館者を集めたという話。

もう一つ、興味深かったのが、以下です。

「ムー大陸からの声が聞こえる」――今、若い人たちの間で、そのように訴える人たちが少なくない。そういう若い人たちがテレビ出演していることもある。

前掲「ムー大陸からの呼び声」(『別冊歴史読本「古史古伝」論争』新人物往来社、1993年)

管理人は日本で「失われた大陸」をめぐる情報やイメージがどう受容されたり影響を及ぼしたりしてきたかを調査しているのですが、これを読んで思い出したことがありました。ムー大陸の話に着想を得た作品を描いている漫画家の美内すずえには別記事(こちら)でもふれていますが、雑誌『ボーダーランド』1996年9月号の記事「ムー語を話す人々」では、その美内など、ムー大陸に関する神秘的な体験をしたという人々とその逸話(ムー語やムー時代の記憶を思い出したといったような話)が紹介されているのです。

なかでも、ムーの記憶をもち、テレビでムー語を披露していたのが大阪市の歯科医、山下弘道で、彼には『遥かなる大地 ムーからの予言』(たまの新書、1994年)という著書もあります。ちなみに山下と著書については、ムー大陸実在について懐疑的な科学評論家の志水一夫による以下のような言及があります。

「霊能者でムー大陸の存在を主張する人も、また少なくない。挙げていけばきりがないが」としつつ例に山下の著書を挙げ「事実と喰い違うという点を除けば、ムーと邪馬台国とのつながりなど、それ自体で見事に完成された体系をなしている」と述べ、さらに次のように語っているのです。

この山下氏には筆者もある席でお会いしたことがあるが、本人はいたって真面目な方で、何かするためにこの種のことをでっち上げるタイプの方ではないことは、その場の人々の誰もが認めるところであった。

志水一夫「疑惑の人ジェームズ=チャーチワードとムー大陸伝説・伝」(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書』)

いうまでもないかもしれませんが、「事実と喰い違う」という大前提を忘れてはならないでしょう。

失われた大陸にはロマンがあります。魅力があります。そして、神秘的・オカルト的思想と結びつくこともあるのです。そうした方面からは、人間と地球の真の成り立ちやさらには行く末を示そうと、太古に存在したが滅んでしまった「失われた大陸」が以前から着目されてきました。個人レベルだと一例として、「私の前世はムー大陸人だったのだ!」というような主張が挙げられます。そして「発展の末に傲慢になり文明が崩壊した記憶を私はもっている。現代人もそうならないように、目を覚ましなさい!」といった主張につながることもあるわけです。

神秘的・オカルト的観点からの「失われた大陸」の受容や影響、想像の展開も、折にふれ述べていきたいと思います。

ところで最後になりましたが、題材にした小泉論考のタイトル「ムー大陸からの呼び声」は小説タイトル「クトゥルフの呼び声」を意識したものではないでしょうか。失われた大陸とクトゥルフについてはこちらもどうぞ。

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